大山加奈が語る勝つために
失われてきたものを、もう繰り返さない
バレーボールが、
人生のすべてでした。
そう語るのは、日本代表として世界の舞台に立ち、
実業団チームを牽引してきた 大山 加奈さん。
勝つことこそが存在価値だと信じ、
痛みも不調も飲み込みながら、コートに立ち続けた日々。
引退から年月が経った今、彼女が改めて口にしたのは、
「子どもがほしいと思った時には、身体が思うようについてこなかった」という、静かな戸惑いでした。
選手として駆け抜けてきた時間の中で、
「未来を選ぶ余白」がどれほど失われていたのか。
競技と、自分の身体と、そして“人生”との葛藤
その言葉は、いままさに選手を導く指導者にこそ届いてほしい。
誰かの未来が、同じ痛みを繰り返さないように。
勝つことが、
存在価値だと思っていた。
月経やPMSが、
プレーに影響していた実感は当時ありましたか?
正直、ありませんでした。というより、
月経やPMSがプレーに影響することがあると
知なかったんです。
今日はジャンプが全然上がらない。
レシーブひとつでも、反応できない。
気持ちも入らない。
でもその頃の私は、それを全部、「前日の練習が足りなかったから」「疲れが残っているから」と“努力量”の問題として片づけていたんです。“気持ちの問題”だと思い込んでいたんです。
だから、さらに追い込む。練習量も強度も、自分に課していく。でも本当は、身体が助けを求めていた。
私たちが無意識のうちに身につけていた流れは、いつも同じでした。
「言えない」→「隠す」→「我慢が習慣になる」→「引退後も続く」これは“根性”ではなく、“構造”なんです。
——「踏ん張れない日」を、自分のせいにしてしまう。
はい。当時は、「今日は体が重いな」「気持ちがついてこないな」と感じても、それを全部、自分の甘さや弱さのせいだと思っていました。
「疲れているだけ」
「前日の練習量の影響だろう」
と、自分で理由をつけてしまうんです。でも、あとになってようやく気づいたことがあって。
月経周期の中には、ホルモンの影響で関節がゆるみやすい時期があると言われています。靭帯がほんの少したわむような、骨盤まわりの安定がわずかに変化するような、その“わずかな変化”が、ジャンプの着地や、踏ん張り、方向転換の精度に直結してしまう。
私自身、現役時代に前十字靭帯※1の損傷はありませんでしたが、月経前に前十字靭帯の損傷が起きやすい可能性がある、という報告もあると知りました※2。
※1 前十字靭帯(ACL):膝関節の安定性を保つ重要な靭帯。ジャンプの着地や方向転換で大きな負荷がかかるとされています。
※2【参考文献】 Wojtys EM, Huston LJ, Boynton MD, et al. The effect of the menstrual cycle on anterior cruciate ligament injuries in women as determined by hormone levels. Am J Sports Med. 2002;30(2):182–188.
思い返すと、「なんでこのタイミングで?」と感じる怪我が続いた時期が、私にもありました。あれはただの偶然じゃなかったのかもしれない、と今では思います。
でも当時は、誰もそのことを知らなかった。私も、指導者も、チームメイトも。“そういう身体の変化が起こりうる”という前提がなかった。
だから、踏ん張れなかった日は「自分が弱かった日」になってしまう。防げたかもしれない怪我が、防げないまま起きてしまう。
一つの怪我が、選手生命を左右する世界で。本当は、身体が必死でメッセージを出していたのに、その声に気づいてあげられなかった。そう思うと、今でも胸がぎゅっとなるんです。
女性アスリートって、本当にすごいと思います。何も知らされないまま、あれほどの強さで戦っていたんだから。
「言ったら外される」
その“構造”が
選手を黙らせる
痛みや不調を「言えなかった」のではなく、
「言わない」と決めていた、という感覚はありましたか?
ありました。チームスポーツって、ポジション争いがありますよね。試合に出たい。チームに居場所を持ち続けたい。だから、
「言ったら外されるかもしれない」という
恐さが、いつも心の奥にありました。
誤解してはいけないのは、これは「指導者が悪い」のではないということ。責められるべき人は、誰もいません。
ただ、仕組みが足りなかっただけなんです。
だから、「今日はしんどいです」と言葉にすることが、そのまま“評価”に結びついてしまうかもしれない、そんな不安が、常にありました。実際に誰かが何かを言った時、明確な言葉で扱われるわけではないんです。
でも、なんとなく空気の流れが変わる。自分でも感じ取ってしまう。
それを何度も経験すると、「言わない」という選択が習慣になっていくんです。痛みも、不安も、揺らぎも、自分の中にしまい込んだままプレーし続ける。
—— 導者側は「言ってほしい」と思っているケースも多いと思いますが、その言葉は届いていなかった?
届かないですね。
それは 意識の問題じゃなくて、構造の問題なんです。
私は現役時代、痛みや不調を『弱さ』だと捉えていました。今ではそうではないと思っていますが、現役選手の多くは同じようにそれを弱さと捉えてしまいがちです。
選手は、“言ったら外れるかもしれない”という現実の中で生きている。立場や序列がある世界で、その弱さを口に出すことはとても勇気がいる。そしてその勇気は、コンディションが崩れている時ほど、出せなくなる。
だから、選手は自分の痛みや違和感を「隠す」ことに慣れてしまうんです。痛みも、息苦しさも、違和感も。
その “隠す” という習慣は、引退してからも残る。私は、不妊治療に入った時にそれを痛感しました。「我慢するのが当たり前」の体で生きてきたから、助けを求めるのが、すごく下手だった。
第三の役割が、
チームを救う
選手が「言えない」まま抱え込んでしまう状況は、
指導者にとっても大きな損失ですよね。
そうなんです。だからこそ必要なのは、チームの中に、”第三の役割を置く”ということなんです。
監督(勝たせる役割)、コーチ(育てる役割)、
この2つだけでは足りない。
選手の「人としての人生を支える視点」を
担う人が必要です。
私が今関わっているチームには、「ディベロップメントマネージャー(選手伴走者)」という役割がいます。
この人は、勝利のための存在ではありません。
・弱音を吐く場所になる
・治療や受診が必要な時は、同行してあげる
・引退を考えている選手には、「辞めること」も提案する
選手の「競技人生」だけでなく、「その先の人生」まで伴走する役割です。現役の選手は、今に集中することで精一杯です。だからこそ、未来を見失いやすい。
スポーツは、人生のすべてじゃない。でも、現役中はどうしてもそう見えてしまう。その視界を、そっと広げてくれる存在が必要なんです
不妊治療と
“我慢する身体”の延長線
現役を引退してから、
不妊治療を経験されたんですよね。
はい。でも、実はその時、すぐに自分の身体を信じられなかったんです。
毎月きちんと生理は来ていた。痛みも重くなかった。だから「自分は大丈夫」だとずっと思い込んでいた。でも、治療を始めてみて気づいたんです。バレーの世界って、怪我も痛みも、まずは“隠す”。それが美徳でもあり、強さでもあるように扱われます。
生理でしんどくても言わない。
メンタルがつらくても言わない。
明日切れるかもしれない膝でも、テーピングを巻いて飛び込む。
そうやって「感覚を無視すること」 が、習慣になるんです。そして、引退した後ですら、身体の声を信じることができなかった。
不妊治療って、精神的にも身体的にも負担が大きいですし、通院回数も多い。もし私が現役中に治療していたら、正直、無理だったと思います。
チームスポーツは、自分だけの都合で動けない。
練習に穴をあけるのも難しい。
それが、今のスポーツ界の現実です。
我慢は、強さではありません。
我慢は、未来を削ってしまうことがある。
選択できる
身体を残すために
現役の選手たちに「今」できることは、
なんでしょうか。
まずは、“記録すること”からだと思います。
月経の周期や痛み。気持ちの波。ジャンプの感覚や、身体の重さ。「今日はこうだった」と、ただ書き留めておく。それだけでいいんです。
実は私自身、現役の頃はそれをしていませんでした。体温や体重、可動域の変化は記録していたのに、月経にまつわる変化だけは“記録するという発想”がなかった。
だから、調子が揺らぐたびに「自分の努力が足りないんだ」と思い込んでいた。
でも今ならわかります。月経の前には、ホルモンの影響で関節や靭帯がゆるみやすくなる時期がある、と。
その“ほんの少しの変化”が、着地や踏ん張りに影響することがある、と。記録していれば、「あの日の踏ん張れなさ」は、弱さじゃなく、“身体が教えてくれていたサイン”だと気づけたかもしれない。「自分を責めなくてよかった日」が、もっとあったはずなんです。
今は、アプリで管理することもできるし、チームで共有することもできます。記録は、弱さを見せることではなく、“自分を守るための根拠を持つこと”。選択できる身体を、未来に残していくために。
—— でも、選手だけでは難しいですよね。
だからこそ、指導者の関わり方で世界が変わります。指導者がやるべきことは「頑張らせないこと」ではなく、“頑張りどころを一緒に見つけてあげること”。月経もコンディションも、チームで共有する文化ができれば、選手は「戦っていい日」と「守るべき日」を自分で選べます。それが、自分の人生を選べる身体につながる。
そしてもうひとつ、“メディカルチェックを特別なものにしない”ということが大切です。代表クラスに入ったとき、ナショナルトレーニングセンターで婦人科や血液検査を含むメディカルチェックがようやく仕組みとして整っているのを知りました。
でも、チームレベルではまだ、そこまでできていないところも多いのが現状です。
メディカルチェックは、
「怪我をしている人」や「特別な選手」
だけが受けるものではなく、
選手全員の“未来を残すためのもの”。
指導者に求められるのは、全部を理解することではありません。
ただ、
・記録を一緒に見てあげること
・「今日は守る日だね」と言える空気をつくること
・話せる第三の役割を置くこと
・そして、メディカルチェックをチームの“当たり前”にすること
その4つがあるだけで、選手は「未来を失わずに」済みます。勝つことは、選手の人生の一部でしかありません。選手が「未来を選べる身体」を残せるようにすることも、指導者の大切な役割です。
PROFILE
大山加奈
1984年6月19日、東京都生まれ。
元女子バレーボール日本代表。高校在学中に日本代表に選出され、オリンピック、世界選手権、ワールドカップと三大大会すべての試合に出場。「パワフルカナ」の愛称で親しまれ、日本のバレーボール界を牽引。2010年に引退後は全国での講演活動やバレーボール指導、解説など多方面で活躍する。2020年9月、ブログで双子の妊娠を発表。双子の母として育児とキャリアの両立を体現し、女性の生き方やスポーツの魅力を発信し続けている。
大山加奈公式ブログ:
https://ameblo.jp/kanaoyama/
大山加奈公式Instagram:
https://www.instagram.com/mika18_konitan/
大山加奈公式X(旧Twitter):
https://x.com/kanakanabun/
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