小西美加が語る現役に命を
懸けた私が知らなかったもう一つの寿命

野球が、
人生のすべてでした
そう語るのは、女子プロ野球界の“レジェンド”、小西美加さん。
36歳まで現役を貫き、チームを牽引してきた彼女が、
引退から数年経った今、改めて口にしたのは
“いつか子どもがほしいと思っていたら今40代になっていた”
という戸惑いだった
選手として第一線で戦ってきた彼女が直面した、
競技と自分の体との「葛藤」。
そのリアルな声に、今まさに走り続けている若者たち、あるいはこれからの人生に悩む人たちが耳を傾けてくれることを願ってーー。

「男の子らしさ」に
徹した少女時代
小西さんの
女子プロ野球レジェンドへの道の始まりは、
どのようなものだったのでしょうか?
女の子に野球はやらせへん!
っていう感じでしたね。
“女の子はうちでは扱ったことない。
やめてくれ”、と。
入部を希望した小学生の小西美加さんに、監督が最初に返したのは、そんな言葉だった。当時、「野球=男子のスポーツ」が当たり前だった時代。男子チームでただひとりの女子選手としてプレーしていた彼女は、「女の子らしさ」を封印し、「男の子らしさ」に徹した。


ユニフォーム姿のまま女子トイレに入るのが気まずくて、最初から男子トイレを使ってました。きーついたら、男子の流れに自然と溶け込んでたんです。
それでも、「あの女の子の投げ方がいいね」と監督に褒められた一言が、彼女の人生を変えた。「認められた」という実感が、野球に懸ける覚悟を深めていった。

「生理なんて来ないで...」
体の変化への戸惑い
体の変化に戸惑ったとき、
誰かに相談できましたか?
小5ぐらいまでは、自分のことを“男”やと
思ってました。かっこいいって言われるのが
嬉しくて、野球をしてたら男になれる
と思ってたんです。
けれど、思春期が訪れると、男子との体力差が明確になってくる。
小学生時代は徒競走で誰にも負けなかった彼女が、次第に男子に追い越され、負ける。


悔しかったですね。
プレーでも勝てへんようになって、
“男に負けるんや”って
痛感しました。
そして訪れた初潮。運悪くプールの授業と重なり、「生理なんて来んかったらいいのに」と本気で願った。痛みと混乱の中、それを誰にも言えず、ただひとりで耐えていた。

スライディングで
隠した経血
“見せてはいけない痛み”に、
耐えたことはありますか?
生理の2日目は関節が緩んで、脱臼しやすく
なる。投球フォームの歩幅を3cm狭くする
だけで、ケガのリスクを下げられる。
でも、そんな微調整を
毎回できるわけじゃない。
女子プロ野球界で最年長選手として活躍した彼女にとって、生理との戦いは日常だった。試合中に血でユニフォームが汚れ、わざとスライディングをして土でカモフラージュしたこともある。
ファンの方が見てるから、
汚れを見せるわけにはいかなかったんです
痛みをこらえ、精神的な不安定さにも耐えながら、
それでもグラウンドに立ち続けた。


『生理やから』って言ったら、
言い訳になる気がして。
でも、泣きたいときに泣いてしまったら、
監督に『勝手すぎる』って怒られた時は、
ほんまに苦しかったですね。
チームを変えた
「声を上げる勇気」
勇気を出して伝えた言葉で
チームが変わったことはありますか?
自分を守るため、小西さんはチーム内に“情報”を共有する文化を作っていった。全選手の生理周期を把握し、症状も含めて監督に伝える名簿を作成。

相手チームを分析するのとおんなじように、
自分たちの状態を把握すれば、言い訳せずに
すむし、いつでも『ベストを出す』ために、
そして『できない理由』を減らすためにも
情報が見えるようにしたんです。
痛みは誰かに伝えることで、少し楽になる。それを証明したくて、彼女はチームの中で、隠さない文化を広げていった。
女性の体と妊娠
「もっと早く知っていたら」
と思うこと
“知らなかったこと”で、
選べなくなった未来はありませんでしたか?
正直、妊娠に関する知識は、ほとんどなかったんです。婦人科に行ったのも、不正出血を初めて経験したときが最初でした。
プロ野球選手として、筋肉や栄養、コンディション管理には人一倍気を配ってきた小西さん。けれど、生理や妊娠、婦人科疾患に関する情報は、スポーツの現場でもほとんど語られることがなかった。


生理痛がひどすぎて、寝たきりになるほどでも“それが普通”やと思ってました。誰に相談していいかも分からへんかった。正しい知識があれば、もっと違う向き合い方ができたんかもしれません。
年齢を重ね、出産に関するリスクや体への負担も理解するようになった今、小西さんは「安心材料が欲しい」と語る。
健康診断は受けてたけど、性病検査や卵巣・子宮の状態までは見てこなかった。
若い頃から“妊娠に向けての健康”を
意識する大切さを、もっとはよ知っていたらって思います。
仲間の中には、30代で妊娠を望んでもなかなか授かれず、不妊治療を続ける女性も多い。


“妊娠は当たり前にできる”と思ってた。でも、それって当たり前じゃない。もっと前から知っておくべきことやったんですよね。
今は、自分の体と向き合いながら、未来への希望もあきらめていない。

妊娠・出産を目指すなら、知識が必要。でも、それって20代のうちに知っておくべきことやと思うんです。知らんかったことで、選択肢を狭めてしまうのはもったいないから。
私の今の夢
夢を追い続けた先で、
新しい夢を見つけたことはありますか?
36歳で引退。その直後、小西さんは南米へと飛び立った。スーツケースに詰めたのは、子どもたちに手渡すグローブ。現地で配った200個のグローブから、何人もの子どもたちが野球を始め、廃部寸前だったチームが再生した。
“あの時のグローブが、
僕の初めてのグローブです”
って言ってくれた子がいたんです。
泣きそうでした。


そして今、彼女が思い描くのは
「居場所づくり」
——スポーツとカフェを融合させた、誰でも立ち寄れる場所。
相談ができて、交流ができて、
つながりが生まれる場所を作りたい。
子どもたちにも、大人にも、
そんな拠点が必要やと思うんです。
夢だった「子どもを授かること」も、まだ諦めていない42歳の今も、結婚と出産への夢は消えていない。


20代の頃は、30までに子どもを
3人産む計画やったんです。
でも現実は、計画通りにはいかへんかった。
まわりが次々と結婚・出産していく中で、「取り残されている」と感じたこともある。それでも、婦人科検診を受け、正しい知識を学び、できることから動き始めた。
安心材料があると、ちょっとホッとする。
でも、子どもを授かるのは
“整ったからできる”ものちゃう。
やっぱり、授かりもんなんですよね。



PROFILE
小西美加
1983年4月18日生まれ、京都市出身。
元女子プロ野球選手で、投手・内野手・外野手として活躍し。2009年に設立された日本女子プロ野球機構(JWBL)の初年度から参画し、兵庫スイングスマイリーズ、大阪ブレイビーハニーズ、京都フローラなどでプレー。
2010年には最多勝・最優秀防御率・最多奪三振の投手三冠を達成し、リーグ初のオーバーフェンス本塁打も記録。通算成績は82勝55敗、防御率2.38、打率.287、盗塁95。
引退後は「こにたんプロジェクト」を立ち上げ、国内外での野球普及活動に尽力している。
SNSでシェアして伝えよう!
その輝きの裏にある、
女性アスリートがもつ誰にも言えない葛藤。
未来のあなたや大切な人が後悔しないように。